かつて一軒家に住んでいた頃、草刈男というのが居た。
くさかりおとこ、ではなく、くさ かりお である。
彼は、よくやって来ては何かを求めるでもなく、本を読んでいた。
細い体に毛むくじゃらな様相、そしてそれに似つかわしくない笑顔。
いつも甲斐甲斐しさを携えるのが基本といわんばかりにまめまめしく動き、
今で言うM男か奴隷ちゃんの様な働き(奉仕)ぶり。
そんな人畜無害な佇まいが功を奏し、割と家に来ても追い出さず放っておいた。
うちに居る時間が長くなった頃だっただろうか、
彼は様々な雑用を済ませながら、暇を見つけては本を次々と読み漁る。
本は次第に積み上がり、新聞の切抜きやよくわからない雑誌まで、色んな書物が散見されはじめた。
よく其の侭リビングの隅のソファで寝ていたので、その乱雑な書類と共に、物置小屋の様な地下の一角を与えることにした。
そこは本当に物置で、物だらけの鬱蒼とした所だったが、元からその様な部屋で暮らしているので落ち着くと笑って、草刈男は地下の住人となった。
私は草刈男は嫌いではなかったが好きでもなかったので、偶に顔を合わせると気が向けば食事に行き、気が乗らなければ素通りし、気が立っている時はカラオケのお供をさせる、そんな関係だった。
彼はそれでも良いと足繁くどこかと家を行き来しながら暮らしていた。
草刈男は私のプライベートスペースを侵すことは出来ない。
これは私が決めた絶対だった。この状態が保たれるためのルールだ。
寝室には絶対に入らないこと、
用があるなら先ずはメールで用件を伝える、
返信が無く急ぎであれば寝室に居る場合必ずノックする、
返事が無ければ諦める、
書斎で仕事をしている時は一切声を掛けない、
物音を立てない、
家を清潔に保つ、
物を絶対に散らかさない、
私の嫌な事はしない、
私に触れない、
これ以外にもあったと思うが、要は私が絶対、ってことだった。
邪魔するなら出て行って、と言ったと思う。
彼は勿論だとすんなり受け入れ、粛々とこれを遂行した。
淡々と日々は流れていた。
そんなある日、データを移行するから少し書斎のパソコン借ります、と言われ、
彼は黙々と作業をしていた。どうやら新聞の切抜きや書類をスキャナで取り込んでいる様子。
私は放っておくことにし、犬と出かけた。
帰ると草刈男も外出したようで、書斎は空だった。
仕事でもしようかとPCを立ち上げると、データフォルダが開いていた。
「彼のメモリーが刺さったままだったのか」
閉じようとすると、画面に、沢山の私が居た。
正確には、アルバムに入れ損ねたままだった写真達が、そこにあった。
画面の上に忘れていた自分が幾つも表示されている。
こんな写真そういえば持っていたっけ、と思える様な懐かしいものから最近のものまで。
まさかと思いスキャナを開けると、そのうちのひとつが挟まっていた。
私は見てはいけないものを見た気がして、消化できない気持ちを抱えたまま、とりあえず写真を元に戻し、
メモリは其の侭抜いておいた。
どうしたことだろう。
いや、当然のことだ。
彼は私に好意を持っているのだ。
だからこうして尽くしている。
こんな変な環境の中でもなんとかして傍に居ようとしている。
でもその好意が成立することは無い。
だからこそ何とかして些細な物でも手に入れたい。
少しおかしいけど、理解できる。
でも、ただただ、気持ち悪かった。
今だったら「そうね」と優しく笑ってあげれるかもしれないけれど。
それから草刈男と出掛ける事は、殆ど無くなった。
相変わらず地下には居た様だけど、本当に全く気にしない生活をするようにした。
季節は夏になり、家の周りに雑草が生え茂り、ある日彼にどうにも目障りだ、と言った。
それから草刈男は来る日も来る日も草と戦っていた。
手で引っこ抜いていたようなので、正確には草むしり男だ。
そんな様に関心は無く、私は寝室で寝ているか仕事をしているかで、褒めもしなければ見もしなかった。
あの時言った「どうにも目障りだ」は、彼の事も指していたのかもしれない。
今ではわからないけれど。
そのうち、その家を出る事になり、草刈男は家を用意すると言い出した。
草刈男は、聞けば学生で、博士を目指しているという。
そんな状態の男に家を用意するのは無理だと私は言った。
すると彼はいつの間にか両立できる職を見つけ、家を用意してきた。
私は一度だけその家に行った。
そして二度と行かなかった。
草刈男はあくまで草刈男だったのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
可哀相だと言えばそうかもしれない。
しかし、どうしようもない。
今思えば、私の中では女王様と奴隷の様な繋がりだったから。
私は違う生活で忙しくなり、草刈男と会うのを完全にやめた。
着信拒否にまでして、ばっさりと嫌だという態度を示した。
今ならもっとうまく出来たかもしれない。
彼が望むなら、奴隷として調教して、違う進め方があったかもしれない。
でも今となってはもうわからない。
草刈男、彼は元気だろうか。
私は女王様として元気に暮らしているよ。