「フランスの野兎は最高でしょう?
僕はいつもあれをジビエにしてマルゴーとあわせるんです。」
「フォアグラお好きですか?
ならうちに来れば最高のを用意させますよ。」
「鮪はクロ、しかも生に限りますね。」
「酒は中取りの純米大吟醸が最高です。
菊理媛みたいな寝かせた酒もこれまた良し。」
「我が家の料理人はこれがなかなかでしてね。是非一度お越しください。
きっと満足できると思いますよ。」
彼はいつもゆとりある深い声で私を誘った。
ふむ、どれも私の好みに近い。
一度ご一緒してみるのも悪くないかもしれぬ。
そう思えたある日、秘蔵のシャトーマルゴーを最高の状態で届けさせ、彼の自宅へ伺う運びとなった。
家を出ると、丁寧にも手袋をした礼儀正しい運転手の車が待っていた。
彼のもてなしは始まっていたのだ。
いくらか街から車を走らせただろうか、街灯りが寂しくなる頃、到着を告げられ私は降りた。
端正な庭と門構えに迎えられる。
彼の家はそれは立派なもので、しっかりとした造りが随所に見受けられた。
訊けば昔ながらの土地もありり、代々裕福に暮らしているという。
ざっと見渡しただけでも、確かに調度品も庭もなかなかのもので、これを個人で維持するのは容易くない。
裕福さは十二分に理解できた。
暫くすると家族揃って私を出迎えようと計画した彼が、写真館での家族写真かのように家族三人で立っていた。
「僕の家へようこそ。
まぁ、たいした家ではありませんが、今宵ゆっくり寛ぐ位の持て成しはさせてもらいますよ。」
余裕を伺わせる言動は、彼が言うと不思議と嫌味がない。
子供の頃から上質の中で生きてきたからだろう。
むやみにへりくだらない彼の態度は寧ろ落ち着きを感じさせた。
奥方は洋装の素敵な方で、娘とお揃いの髪止めをなさっている。
娘は女学生らしいはにかんだ笑顔が黒髪によく似合っていた。
挨拶も丁寧ながら、声色に浮わつきがなく、上質の家族という言葉がピッタリだった。
恐らくこの印象のままの、
暖かく仲のよい族なのだろう。
沢山の家族写真が飾られていた。
しばしの談笑の後、二人で食卓についた。
「ご家族はご一緒なさらないんですか」
「あぁ、今日はね。君とじっくり時間を楽しみたいと思ってね。
美味しい料理に旨い酒、そしてそれを楽しみながら話を、なんてどうだい?」
彼はさらりと食前酒を注ぎ、乾杯をした。
「僕はね、今日を待ち望んでいたんだ。」
「僕のほんとうを理解できるであろう君との時間を。」
そういうと彼は心から嬉しそうに笑った。
「あぁ、貴方は何にも満足なされてないのね。」
どこまでも貪欲でどこまでも愚鈍な紳士。
おそらく本当のことなんて何も知らない。
丁度良いものばかり与えられてきた人生。
女が本当に感じたらどうなるかとか。欲望がどのようなものかとか。
きっと数え切れない今までがあったでしょうけれど、
きっと何も知らない。
嘘だらけの海から出ようとどうして思ったのか知らないけれど、
貴方にこれからの世界が耐えられるかしら。
今までのあなたの全てを壊してしまうかもよ、そう添えるか躊躇ったけれど、
私は最初の意地悪として伝えない事にし、ただ微笑んだ。
「素敵な夜になりそうですね。」
五感を使った遊びをしましょう。
わかりやすいものなんかよりも。
さぁ、跪いて。