SMは人間修行、人としての練習の場なのかもしれない、と時に思います。
私がbonbonに入った頃、今思い出しても腹が立つ許せない事がありました。
そしてそれは今でも一番不愉快です。
とあるM男と話していたところ、縄の話題が出ました。
其の頃の私は全く縄を知らず、
実際やってみるのが一番覚えるよ、
と通りすがりのママ様からアドバイス。
するとM男は事もあろうか
「いつでも練習台になってあげますよ。」
「呼びつけていいですよ。練習台になりますんで。」
「携帯番号教えときますね」
などと抜かしました。
縄に触れる事がそれまで無かったので、
確かに亀甲縛りすら全くわかりませんでしたが、
私を紹介された時に女王様、と聞いたはずです。
お前はM男、私は女王、であれば、
間違ってもそんな口の利き方するもんじゃないでしょう。
会って大した時間も経っていないからそういったのかもしれません。
新人だと紹介されたのもあるでしょう。
しかし、
新人女王様だしタダでプレイできる、構ってもらえるなどど言う
舐め腐った下衆なM男の考えがありありと出た一言でした。
私はその場では店にも慣れてなかった事もあって、
「そうだねー」
とだけ言いました。
内心、殴る蹴る潰すでズタズタにしたい位カチンと来ていたけれど、
入店早々ですし、色々な考慮もあって飲み込んだものです。
普段は忘れていますが、たまに思い出します。
ほんっとうにアレはむかつく。
それは、馬鹿にされたという思いもありますし、
何よりM男が「あげる」ってなんだよという憤怒。
そして「タダ」でという浅ましい思考で、怒りは臨界点突破。
私は、他人の時間を使っておいて、
そこに自分が(自分の為に)時間を使った、
という感覚が無い人が一番苦手だし嫌いです。
時は金なり。これはほんとうに至言だと思います。
この場合M男の時間を私が使った、
ではなく、
M男が練習台という言葉を利用して私の時間を集った、です。
だって選ぶ権利がありますからね。
練習台だろうと私が決めますよ。
少なくとも、お前じゃない。
皆さん、自分の時給って考えた事ありますか?
何をするにしても自分の時間を使うという事は、
其の為にコストがかかっていたり、其の分何かを犠牲にしているという事。
人生は有限。
誰にでも自分の時間の価値は常にあるのです。
其の感覚が無い付き合いは凄く苦手。
無益な事は極力避けますし、しません。
全ては自分で選択して決めて生きるのですから。
人生と自分について膨大な時間を費やし考え抜いた結果、
そうする事に決めて、今まできました。
そしてそれはこれからも変わらないし、大切にしたい自分のポリシーです。
こんなにもばっさりと、世間ではオブラートに包むようなこういった事を、
はっきり言ってしまうのは危険かもしれません。いろんな意味で。
一応私もサービス業で働いていますしね。
人当たりのいい事を言うのが一番楽で平和で印象もいいでしょう。
でも私は敢えて言います。
わかってない奴が多すぎるから。
みんなそうであって欲しいとかは全く思いません。
でも、
そうじゃない考えによる行動に巻き込まないで欲しい。
実は私は結構根が田舎のおばちゃんなので、
そうすることで自分を律しているというのもあります。
ドライだと思うならそうなのかもしれません。
ただ有り難い事に、表層的なものやこの一部分だけで判断しない人たちに恵まれ、
熱い温かい優しい等と思っていただいています。
それはこれだけで私が出来ている訳ではないから。
ヒトは色んな要素や考えの集合体ですもの。
みんな違う人、
其々に良さ悪さ合う合わないある。
わかる奴だけでいいんだよ、
合う奴だけでいいんだよ。
無理する必要なんてない。
私はそんな人間です。
皆に好かれようなんて思わないし、
無理して嘘ついて愛想ばっかり振りまくのも、
腹の底にヘドロのような不満を噛み殺して笑うのも、嫌。
だからどうか
私を不快にさせないで。
お前を捨ててしまいそう。
お前を潰してしまいそう。
普通に常識の範疇で接すればいいんです。
無礼な事って一般生活の中では非常識でしょ?
どろどろのエゴや醜い浅ましさは、お戯れの時間だけのものですから。
ただそれだけの事。
常識があるからこそ非常識が際立つ。
だからこそ、そこにロマンやファンタジーを見出せるんじゃないの?
わかるかしら。
うまく伝わらないかもね。
それはそれで、まぁいいわ。
ひととひとの事ですもの。
言葉があるからこそ、うまくいかないものなのかもしれないわ。
「コミュニケーション」
きっと生涯考えさせられることのひとつです。
ひとって、やりがいがありますね。