本日のグーグル先生のホリデーロゴ
何とも可愛らしいですね。
これはカエル記念日…ではなくて、
今日は小林一茶生誕250周年なんですね。
「ゆう然として山を見る蛙かな」
がモチーフなのかな。
一茶といえば絶倫しか浮かんでこない私の学の無さ。
彼の朴訥な作風と全く違う、夜の激しい老人、なイメージ。
ここで洒落た一句でもご紹介でもできればいいのだけれど。
でもね、だって凄い強烈なのよ。
彼は52歳で初めての妻を迎えるのですが、
それまでの飢えを取り戻すかのように、毎晩房事に励み続けたのです。
その天晴れなる様はwikipedia先生にも記述されてしまうほど。
残された日記によれば、結婚後連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、
脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語障害を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった(wikipedhiaより抜粋)
なんともコメントし辛いのですが、
私だったら自分の死後がこんなwikiってやだよ。
というか、日記に回数まで記すって!
色んな意味で凄…。
という訳で日記を検索してみました。
文化12年(1815)
十二月五日「晩一交」、
二一日「暁一交」、
二三、二四、二五、「旦一交」
二九日「五交」、
正月八日「旦一交」(七番日記より一部抜粋)
暁は明け方、旦は朝を差します。
朝でも夜でも、多い時は五回も…等等(絶句)
しかも彼は強精植物を自家栽培し、
多量に服用していたらしく。
正に老体に鞭打ち。
二番目の妻は余りの絶倫ぶりに嫌気がさし、
半年で逃げ出したというし。
(老人嫌悪説も有り)
こういう人こそSMやったら良いと思うんですけど、
残念ながら彼は芽生えなかったのかしら。
継母との精神的軋轢を創作源とした自虐的な句風も持つ一茶だからこそ、
そして、老いてからの持て余すまでの性への執着、
そんな彼にSM観があったとしたらどんなものかしら
と興味を持った私は不届きものでしょうか。
逆境が彼の句風を作ったと言えばそれまでなんですけど。
優しさと、斜に構えたスネっ子エスプリの同居が素敵な一茶。
知れば知るほど面白い俳人なのは間違いありません。
そうそう、
一説によれば一茶が特別な訳ではなく、
江戸時代の農民夫婦は皆この様な生活を送っていたとも。
農耕なだけに濃厚ですねー
なんて洒落にもならないコメントでお茶を濁しつつ
彼の名誉のために一寸付け加えて、
今日のところはお仕舞いに致しましょう。
すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通るやっぱこれだよね。